理事長対談
2013年理事長対談Vol.3 辻元 清美衆議院議員 2013年7月25日
【プロフィールについて】
大矢 今日はお忙しい中、本当にありがとうございます。本年中は、理事長として色々な政治家の方、今日は辻本先生、その他に市長、市議会議長、松浪先生、島本町長、この後は企業の方に対談ということで周らせていただこうと思っています。なぜおこなっているかと申しますと、JCは自分よがりな部分があります。世の中で、どういったことが起こっていて、なにが必要なのかということが色々な方とお話しし、理解していくことで今後の活動の糧にしたいと考えています。
辻元先生は1996年から衆議院議員をされていて、もう17年の経験があると思うのですが、どういった形で議員になられたのかをお聞かせ願えますか。
辻元 議員に初当選したのは1996年で、生まれたのは1960年です。生まれは奈良県吉野郡大淀町、その後は大阪で育ちました。1970年には大阪で万博があり、高度経済成長期に育ったわけです。小学校は如是小学校にも通っていて、万博の少し前くらいに高槻に住んでいました。子どもの時は、いじめとかにあっていましたが、高槻に転校して来てある先生に出会い活発な子になりました。当時、高槻はサンスターや明治製菓ができて、どんどん開発されていて、如是小学校は児童が1000人居ました。すごい大人数でした。私は、小学校3年生で転校してきて、担任の先生は西尾先生という方でした。
大矢 ちょっと待って下さい。西尾先生は僕の担任も務めていました。少し痩せた眼鏡の方で、少し色黒な方ですよね。
辻元 そうです。今は、だいぶお歳です。
大矢 結構、厳しい感じの方で、僕の小学校1年2年の時の担任でした。
辻元 いつも定規を持っていて、それで黒板を指すのです。奇遇ですね。当時、そういう幼少期があり、そういう先生との出会いがあり、だんだん世の中に対して関心を持つようになりました。中学生時代は奈良に住んでいたこともあり、高校時代は名古屋に引っ越しをしました。
大矢 親の仕事関係とかですね。
辻元 そうですね。それで、大学で東京に出て早稲田大学の教育学部に入り、そこでピースボートというNGOを立ち上げました。これはアジアを始め国際交流をしようという団体で、平和の基礎をつくるためお互いを知り合おうと、民間外交で草の根交流をしていきました。最初はサークルのようなノリでしたが、段々、活動が広がり、今は日本の中でも大きなNGOになりました。
大矢 創設者ということで、すごいことをされましたよね。
辻元 最初は学生4人で始めました。
大矢 そうなんですか。今の学生では、そんなこと考え付かないのかなと思います。
辻元 「社会起業家」の走りという面も少しあります。今、社会的事業ということで、例えば、自然食のレストランをしてみたり、途上国からフェアトレードと言いまして色々な物資、砂糖やコーヒーなどを適正価格で輸入して販売するとか、環境に優しいものを取り扱うなど色々な活動が広がっていますけど、当時はあまりありませんでした。できるだけ色々な国の方と交流する機会を作っていきたいと考えました。今ピースボートは国連の協議資格を持っている、国連に認定された日本の国際交流団体です。
大矢 今も、顧問か何かとして関わっているのですか。
辻元 今は何も関わっていません。ピースボートは無党派、特定の政党などにコミットメントしないと決めていましたので、1996年に立候補した時にはピースボートの役職や仕事を全て辞めました。政治に関心をもったきっかけですが、アジアの国々とか各地を訪問していると、さまざまな貧困の問題とか環境問題などに直面します。そういったことを解決しなければならないと自然に思うようになってきました。それと同時に1995年に阪神淡路大震災があり、ピースボートも有志で長田区に震災の支援に入りました。その時に、大震災が起こった場合でもなかなか政治が上手く機能していないと実感しました。その時に物資を船で被災地に運ぶ陣頭指揮をとるなどボランティアコーディネーターをしたのですが、当時はボランティア元年と言われていました。
大矢 当時、僕は大学2年生でした。家も古かったので、床に布団を敷いて寝ていましたが、布団が左右にゆれ大変な思いをしました。土木工学を専攻していましたので、液状化が日本では初めての現象だったと覚えています。近いということもあり、見に行ったりもしていました。
辻元 私たちはボランティアで入っていきました。欧米の国々ですと、このようなボランティア活動をしている団体とか、例えば、介護とか、高齢者のケアとか、子育て、環境問題に取り組んでいる団体は社会的にもしっかりとした地位があり、そして同時に、位置づける法律もあるわけです。そういうわけで、阪神淡路大震災の後に、NPO法というものを日本でも作ろうという活動を始めました。色々なボランティア団体とか市民活動をしている団体どうしで、ネットワークを作って、そういう法律を国会に働き掛けて作ろうという活動です。ところがそういった活動をしていると、自分で議員になった方が早いという気持ちにもなりました。もう一つ、阪神淡路大震災当時、個人への保障というのが日本にはなかったのです。諸外国では、家が全壊・半壊となった場合の個人に対する保障があります。いざという時に国に助けてもらうために、私たちは税金を納めているはずだということで、そうした法律も作ろうと動いていたのです。その頃に、衆議院議員選挙がありました。当時社民党党首だった土井たか子さんから、女性議員を増やさなくてはいけないということ、ボランティア活動や被災者を支援していくということが、これからは大切なことなので立候補してくれないかと声を掛けていただいたのです。阪神淡路大震災の翌年です。最初はお断りしましたが、何とかやってくれないかと言われ、当時TBSニュース23でキャスターをしていた筑紫哲也さんに相談すると、「やりなさい」「自分で法律を作れば良い」と言われました。それから女性議員があまりにも少ないので、女性議員としても頑張ってくれとも。結局、1996年10月1日に出馬要請を受けて、翌日までに返事がほしいと言われ、やりますと返事をしました。10月8日から選挙が始まり、投票日の20日に当選しました。
大矢 色々な方と話していると、自分のやりたいことをより早く実現させたいからというような方がほとんどで、その上に縁とかがある。そういった形で流れている方が多いのかなと思います。
辻元 その時は女性の声が日本の政治の中に届きにくかった時代でした。政治の役割というのは2つあると思っています。一つは、みんなが食べていけるようにする。子どもの時に商売やっていたので、何回も失敗してしんどい思いをしていました、商売は不安定ですよね。そういう辛い思いをする子どもを出したくない。もう一つが、戦争だけはさせないということ。この2つが政治の役割だと思います。それと民間のボランティア活動をもっと社会で認知をさせたい。そういう思いで政治活動をスタートしました。
大矢 プロフィールの中で大阪JC主催の憲法タウンミーティングに出られたということがありましたが、大阪JC主催ですか。それとも大阪ブロック協議会主催ですか。
辻元 大阪ブロック協議会かしら? でも、京都で開催しましたよ。JCのみなさんとは御縁があり、今回の東日本大震災の支援も日本JCのみなさんに事務所を借りていただいて、ボランティアネットワークの本部を置かせていただいたり、政府とNPO/NGOやボランティアの作戦会議を共同でおこなうなどさせていただきました。当時、私は政府のボランティア担当の総理大臣補佐官をしていましたので、度々JCの本部に行っていました。
大矢 そういったことを言いますと、JCの動きはずいぶん早かったと思います。近畿地区では倉庫に救援物資を入れる。震災の4日後にトラックが出発しました。動きは早かったのかなと考えています。
辻元 とても早かったです。その後、東日本大震災被災地の福島、岩手、宮城と行きますが、岩手では盛岡にJCの各支部の方に集まっていただいて、政府とどのように連携できるのかお話したり、宮城に行った時もJCの代表の方とお会いして、政府から何を応援すればいいのか話し合いをしたりもしました。地域の人や事情をよく知っていて、まとめる力や具体的なアイデアをもった人がたくさんいたのです。旅行会社と組んでヒット商品となった「ボランティアツアー」のアイデアも、花巻のJCの若手商店主と情報交換していたときに、「被災地以外でも観光が大打撃を受けている」と聞いたときに、ヒントが浮かんだんです。とても頼りになりましたし、JCのみなさんに頑張っていただいて心から敬服しています。
大矢 僕もその年は、仙台に5回ほど行きました。我々が焦点としたのが亘町です。何かできることがないかと考え、高速道路から海岸に向けて農地が壊滅的な打撃を受けていました。いちごとかが全て駄目になっていました。地下水に塩水が入っており、東レさんとかに協力していただいて、淡水化装置を寄付しましたが、そこから設置許可が遅々としておりませんでした。始めは農水省が大丈夫としてくれたのですが、その後、復興省に変わり手続きが差し戻しのようになってしまい、今年やっと設置できるようになりました。行政の難しいとこなのかなと実感しました。
辻元 行政は決定までに時間が掛かりますし、国から予算を下ろしても直ぐに執行できず、まず、県に下ろして、県の議会で予算を承認しなければいけません。県で承認されると市町村に予算が下ります。次に市町村で議会を通さないと執行できないのです。ボランティアやJCや農協や労働組合などが、「何々頼むから、直ぐに応援しよう」というようなすぐ動けるものすごいパワーを発揮して下さいました。これは阪神淡路大震災からの変化です。あの時は、みんなバラバラに動いていました。
大矢 その時に私も行っています。JCにも所属していなかったので単独で行きました。今のように、日本青年会議所が仕切ってしっかりとした防災ネットワークを構築していませんでした。その時は僕らは僕らで単体で動いていたので、動きがあまり効果的ではなかったのかなと思います。
辻元 災害の時に組織がどのように動くかということと、阪神淡路大震災から東日本大震災までに色々な経験を積んできました。それと同時に今回は災害ボランティアの総理大臣補佐官になりまして、政府と民間の連携をはからなくてはとても対処できないほどの大災害でしたから、自衛隊と政府、自治体とボランティアが一緒に動くというチャレンジを各地でやりました。そういう新しく出てきた動きを、今後災害対策をつくる上で大きなプラスにしなければと思います。
大矢 プロフィールでもう一つ、JRの組合のことが書かれていますが、私の父親も職員の一人でしたので、私も、25年前に関わっていたと思いました。私が小学校4年くらいの時だと思います。
辻元 そうなんですか。私は裁判の支援をしていました。国鉄民営化で国策を変えた時、労働運動をしていた労働者に対して、不当な取り扱いをしたと思います。これは戦後最大の労働問題と言われていました。私は自分が国土交通副大臣になった時に、この問題を必ず私の手で解決したいと、和解に持っていきたいと腹に決めました。
大矢 和解に導いたのは前回の民主党政権の時で、ことが動いたと私の父親から聞いています。
辻元 そうです。実質的に私が担当しました。今まで、自民党中心の政権の時、原告のみなさんと政府は対立していました。個人の人生に着目すると、20数年間も裁判を抱えて仕事も出来ない方も居る中で、みなさんお歳をとっていかれて、これはここで和解すべきであると言うことを財務省にも国交省にも粘り強く説得しました。
大矢 行動を見ていますと、やると決めたことはどんどん動いていくイメージがありますよね。
辻元 結局、最終的には財務省も官房長官も総理大臣も説得して、組合の方に裁判を取り下げていただいて和解しようということで、条件を擦り合わせて行きました。最後の最後までハラハラでした。
大矢 父親に聞きますと、途中で和解のチャンスがあったけど、まとまりきらず、今思えばしておけば良かったと思うと言っていました。個人的に御礼を言わせていただきます。ありがとうございました。
【政策について】
辻元 皆が食べていけるようにする、戦争は絶対にさせないのが政治の役割だと思います。人は調子が良い時には自分で生きていけます。でも歳を取れば年金が必要になるだろうし、例えば、今日帰りに交通事故にあって車椅子生活に変わるかもしれません、また、不当に解雇されるかもしれない。一人ひとりが弱い立場におかれてしまった時、そんな時に政治が必要になる。いつも弱い立場に政治が寄り沿うことが大事だと思って政策を積み上げています。それと、未来の子どもたちにどういう社会を残せるか。
大矢 そうですね。最近、考えているのが、国債がもうすぐ一千兆円を超えるということ。僕の個人的な意見では、年金受給者や年金を納めている世代など色々な世代がありますが、その人たちみんなの関心が薄いのではないかと感じます。一千兆円の借金があることを、どのくらいの人たちが意識しているのか。ほとんどの人が意識していないと思います。青年会議所の活動の一つに、投票率の向上を目指している活動があります。その目的は、政治に関心を持っていただきたいということです。投票率を見ていても約60パーセント程度、100パーセントある中の60パーセントということは、国民総意とは言えないのではないでしょうか。もっと政治意識を向上させていく取組みをしていかないといけないと思います。
辻元 おっしゃる通りです。若い人たちが自分たちの未来を決める大事な機会が選挙です。高齢者の方より人生が長いのです。そういう意味では、しっかり投票にも行っていただきたい。政治というのはより良い人たちを選び続け、それを繰り返すことによって良い方向へ向かう取組みですので選挙に行って欲しいです。国政選挙だけでなく、市会議員や町会議員、市長や町長を選ぶことも大切なことです。地方分権の時代なので、子育てや介護や教育の問題などは、市議会や町議会で決めています。保育所を何か所どのような場所に作るか、そのために予算をどうするのか。国政の場合はテレビ番組で取り上げられることも多いけれど、市議会や町議会は何人の議員が居て、どういう党がどういうことをおこなっているのか、予算規模がいくら位なのか、みんなあまり知らないと思います。
大矢 私も、今年このような役に付き、色々なことを調べたり、こういうように色々な方と接する、そして色々と考えることが増えてきました。市議会とかは、中継に関して前向きではないです。相対的に言われているのが、市議会の議員などは国の政治と比べてレベルが高くない。中継することで、国の政治と比べたらマイナスイメージが多いということで気にされているようです。
辻元 高槻の市議会や島本の町議会は傍聴しようと思えば行けますよね。でも国会に行こうと思えば、東京までの交通費も掛かり時間も掛かるので、そんなに行けませんから。
大矢 傍聴が、どのくらいに来るのか聞いてみました。一日、100人くらいは来られるみたいです。でも、高齢者や退職された方が来ているみたいです。投票率60パーセントの残り40パーセントの内、20パーセントは僕ら世代だと思います。僕ら世代が、どのようにして政治に関心を持つのか一番大事だと思います。
辻元 私の政策は人と人の絆を強くしようとか、ボランティア活動を促進しようとか、弱い立場の人や子育ての支援とか、自然エネルギーを進めていくというのが中心です。原発に頼ると核のゴミを、どんどん子どもたちの未来に溜めていくことになります。廃棄に何万年も掛かるものを増やしているのに、「いま、便利ならば良い」では済まないと思います。プルトニウムまでも残すとなると、テロなどに使われかねませんし、無責任だと思います。子どもたちのツケを一円でも多く減らす。自然環境の破壊など、子どもたちのそういうツケも、とにかく減らしていくことが政治の役割だと考えます。それを高槻でやりたいと思っています。「高槻・島本をボランティア日本一の街に」、そして、「子育て、自然エネルギーをナンバーワン」にしたいと思っています。
大矢 女性が結婚してから就職率が相当低いという話があります。日本の女性労働力をもっと活用せよなど言われています。欧米の国々でいうと、女性の就職率は高いですがどのようにお考えですか。
辻元 子どもを預けることができ、親の介護も自分の地域でできれば、男女とも働きやすいと思います。男女とも働くことでダブルインカムで収入も上がれば内需も拡大し、経済もプラスになると思います。高槻市長と時々話をしますが、「高槻は子育てしやすいで」「子どもも預けられて働きやすい」などと話題にされるようになり、お爺ちゃんお婆ちゃんの介護も充実しているとなれば、引っ越しを考えた時に「子育てしやすいから高槻に引っ越ししよう」となるのではと言っているんです。
大矢 もう一つ考えたのが、高槻が良くなるのは人口増加によって良くなると思います。今の国策や国の制度も人口増加が前提の制度です。高槻で同じことをすると、どこか他の街では減ることになります。他市と競争を続けていくということは長く続きません。10年20年後のことを考えると、少子高齢化を変えていかないといけません。今の一千兆円は毎年50兆円ずつ増えています。国の予算の半分が国債で賄われています。その国債の用途の大半は社会保障が大半を占めています。この予算の組み方ですと、普通の会社ではもうだめです。このようなことを、国としてはどのように転換していくのかというところを考えていただきたいと思います。
辻元 私が、なぜ子育て支援などをずっと推しているかいうと、人口減少社会に歯止めを掛けなければいけないと考えているからです。
大矢 私の考えになりますが、やり方としては2つしかないと思います。人口を増加させるのか、制度を変えるのか。その2つしかないと思います。
辻元 そうですね。両輪でいかなければならないと思います。一つは、女性が働きながら子育てしやすい社会にすれば、いまは一人しか子どもが居ないご家庭でも二人、三人と、子どもを育てながら働いていこうと思うことができます。フランスの場合ですと、子どもが多いほうが優遇される社会です。子どもが多いので生活が苦しくなるというより、どちらかと言うと豊かにになります。そういった制度を取るようになり、少子化を食い止めて出生率が上昇してきている。子ども手当などを創設した理由は、子育ての世代はお金が掛かります。よく食べるし、子どもの教育にお金と手間がかかる時期は、ちょうど親の介護も重なってきます。そうした働く世代を直接支援するということで導入したのですが、これはヨーロッパでは当たり前になってきています。今までは高齢者中心の社会保障制度でした。子ども向けの制度は、ほとんどありませんでした。しかし、子どもや現役で働いている30代くらいの人たちを応援するような社会保障に、ある程度比重を切り換えていかないと、次の世代への応援になりません。そこで、制度を切り換えることによって、子どもたちの数が増えていくので、少子化を食い止めることができないのか。一朝一夕にはできないですが、そういう方向へ変えていかないといけないと思います。
大矢 辻元先生は一千兆円という国債について、これが今後どのようになると思っていますか。
辻元 まず、増やさないようにしていくことが大事だと思います。増やさないようにしていくためには、今まで多かった無駄を減らしていかないと。安倍政権で景気が回復していると言われていますが、政策は借金に支えられています。安倍政権になって、この半年間で日銀の当座預金が33兆円増えました。市中に出回ることなくただ寝かされているだけの借金ですね。そして、日銀がお金をさらに刷っているんです。このようなやり方で株価を吊り上げ景気を回復しても、借金の自転車操業をしていることになります。今は世の中、浮かれていますが、私は心配しています。経済を支えているのは輸出業ばっかりではありません。地域で、医療とか子育てなど必要とされている分野で新しい仕事作りをしていくことで、高齢化社会の問題や少子化の問題を解決すると同時に、そこに雇用を生み出していく。介護や子育てや医療の仕事というのは、そこに人が居ているので海外へ逃げていく産業ではありません。例えばこれまでは「国内でお金をまわす」ために新築住宅を売り続けていたのですが、人口減少社会ではむしろ住宅がだぶついてくる。だから賃貸業界を活性化させるという発想の転換をすると同時に、ヒューマンサービスの仕事作りをミックスしていくことで、新しい経済のパイを増やしていく、問題解決型経済というのができないかとチャレンジしてきました。一例ですが、国土交通副大臣の時にサービス付き高齢者向け住宅という制度を作りました。これは当たりました。高齢者の方が介護付きのマンションに入ろうと思うと、最初に高額のお金を払わなければいけないので多くの方は入れません。中間層の人たち対象の政策が欠けていたのです。独居老人になると昔に購入した一軒家に一人で住むようになり、掃除もやりきれなくてかえって不便という現状があります。そこで、そういう人たち向けに高齢者の見守りや生活相談などが付いている賃貸の住宅を作れる制度を設計したのです。自分の持ち物である一戸建ての住宅を子育て世代に賃貸で貸して家賃収入を受け取り、自分はサービス付きのマンションに入る。サービス付き高齢者住宅は増えてきているので建築業も潤います。そこで若い方たちが、サービスや介護をする仕事も生まれる。そういう問題解決型経済みたいなのを、地域で地道に作っていくやり方の方が、バブルに頼って一発経済を良くしようというよりも、実質的ではないかと思います。
大矢 私は仕事が貿易をしています。中国、韓国、ベトナムもよく行きます。為替の急激な変動には敏感です。今の円高、円安について色々と考えました。いきついた答えは、80円、円高でおかしいと思いました。輸入する場合は円高の方が良いです。それがそのままの場合、360円でしてきたものが80円になっている。このレベルがどうなのかということは、その時その時で誰が決めるものではないのですが、100円くらいが適正なのであればそのくらいなのかなと思います。ただ、この何ヶ月は20パーセント30パーセント上がっていますので、輸入している業者の粗利は30パーセントから40パーセントです。その中の25パーセントが為替で取られてしまう。これだけ短期間でそのようになると、価格改定は絶対できないので、この3ヶ月間で輸入業者がすごい損失を抱えたのは多いです。私は輸入も輸出もやっています。全体的には100円くらいが良いと感じました。ただ、スピードです。このスピードは世界はグローバル化で、流れがすごく早いですね。行く時は行き、変える時は変える、それに翻弄されているのが、それに関係する業者じゃないかと思います。
辻元 何を輸入したり輸出したりしているのですか。
大矢 輸入は雑貨やホテルのアメニティです。輸出はプラスチックの原料です。
辻元 私は大阪の商売人の娘ですが、大風呂敷を広げるのではなくて、地道に地域経済を起こしていくのが政治家の役割だと思っています。橋下徹さんが話題になりますが、大阪都構想にさえすれば経済が良くなるというのは、「勉強部屋があればもっと勉強ができるのに」と言っているのと同じように聞こえてなりません。今できることをやれば良いと思います。制度を突然変えると世の中ばら色になるということはないです。
大矢 そうですね。これだけの年月を掛けて、これだけの借金ができると、何年かで解決できるということはないと思います。
辻元 自然エネルギーを活かして、スマートシティー、省エネシティーに変えていく。これはヨーロッパでは、かなり進んでいます。家だけではなく、街全体、高槻の場合ですと高槻全体が、エネルギーをダウンサイジングしていくということです。その技術の開発は日本がトップレベルです。それを街ごとにやってみる、人の力を発揮していく。そこに仕事が生まれてきます。医療や介護、子育てという分野の雇用であったり、自然エネルギーの分野の雇用であったりを、地域で独自に作っていくということが、日本の足腰を強くしていく。輸出業だけに頼っていると、変動指数が大きいので、それが失敗すると全てに影響が出てきてしまいます。地域の独自性を活かした絆をもう一度復活させていきたいと思っています。高槻や島本は、そういう意味でも事業的に成功しているNPOも割合たくさんあります。数人の女性が始めた高齢者の配食サービスを行うグループが、今では100名以上も雇用するNPOに育っているのです。そうしたNPOを、市がサポートしています。そういう連携のようなものを、いっぱい作っていくということが大事かなと思います。
大矢 地域をモデル化して、それを広めていきたいと言うことですね。
辻元 高槻、島本をNPO、ボランティア、それから、子育て、介護をしやすいエコタウンにすることで経済もプラスにしていきたいと思っています。そのためにはJCに期待しています。
大矢 憲法議論が話題になっていると思いますが、日本青年会議所でも憲法草案というものを作っています。なぜ憲法草案を作るのかというと、一人ひとり国民に憲法に関心を持ってもらいたいというような形で、作ったから終わりではなく関心を持っていただきたいと考えています。辻元先生は憲法体制をどのように考えていますか。
辻元 憲法は国民が守らなければいけない最大のルールと勘違いされている方が多いのですが、憲法というのは、国民が権力者を縛る、国民が権力者に守らせるルールです。これを蔑ろにすると困るのは国民自身です。
大矢 憲法は国が従うルール。法律が国民が従うルールと言うことですね。
辻元 例えば街頭演説などは「表現の自由」があるので出来ることです。戦前は、政府の方針に反対と言うと、お巡りさんが来て、みんな連れて行かれた社会です。いまみんなが自由に発言が出来るのは、憲法で「表現の自由」が保障されている、というのが大きいのです。女性議員が誕生したのも、憲法で「男女同権」が保障されたことが大きい。憲法は国民のものなので国民から「ここを変えたい」という声が多数でてきたときに初めて、そこを変えようという議論を国会で行うというのが筋だと思います。国民の大多数に、ここを変えなければいけないという声が広まれば、「そこの部分を修正しましょう」としていく。今、国民から、「ここを絶対に変えないと生活が困る」という声が出てきているわけではないのに、政治の側が先走って「変える変える」と言っているいまの状況は、国民主権からみると良くないと思います。
大矢 そういう形で考えるのであれば、国民にもっと憲法を浸透させなければいけないです。何が良いのか悪いのかということを知らない人がたくさん居ます。辻元先生は憲法改正に反対していると思っているのですが、そういうことではなさそうですね。国民から、そういう意見があれば考えらなければいけないってことですよね。
辻元 憲法改正国民投票制度というのを作ったのですが、憲法を丸ごと変えることはできないのです。憲法を変えろ変えろという人は「世界中で憲法を何回も変えている」と言いますが、憲法を丸ごと変えているところはありません。国民から上がってきた要求に対して少しずつ修正していくのです。世論調査でも、憲法はあまり関心を持たれていません。差しあたって憲法を変えなければ本当に困るという声はないので、憲法を改正する必要はないと思っています。それで、本当に問題がでてきたら変えたらいいと思っています。安倍総理が96条、改正発議の条件を衆参議員総数の3分の2から2分の1に変更したいと言われました。自分は憲法を変えたいが全然変えられないのでまず、変えやすくルールを変えれば良いというのは通用しません。スポーツで言うと、自分は勝てないので、勝てる様なルールに変えてしまうということです。どこの世界でも通用しません。国会で捻じれになっていますが、法律でも参議院で否決され衆議院に戻ってくると、衆議院の3分の2がないと成立しないのです。法律でも、そうなっているのに、憲法がそうなるはずがありません。
大矢 国家非常事態について、こういうものが憲法に記載されていません。これは、東日本大震災、政治の根源、こういのが憲法にあればもっと対応ができたのではないかと書かれています。憲法に関して関心がある人が少なすぎると思いますが、どうでしょうか。
辻元 国民の声次第だと思います。今回の震災で、今の憲法では何ができなかったのか、もっと検証しなければいけないと思います。今の憲法で、できなかったことが100も200も出てきたら、それは憲法を変えなければいけないと思います。憲法さえ変えれば上手くいくということは幻想で、思考停止につながりかねません。現場の縦割りの弊害であったり、原子力発電所事故のような、今までなかった災害への対応について、憲法に規定がないのがうまくいかない原因なのか、別の問題なのか、私は検証することが先だと思います。
大矢 僕は、憲法を変えるのが良いとは思っていませんが、今、憲法に対して色々な議論がでていると思います。それが良いことではないかと思います。やっぱり、みんなが意識しないと駄目なのかと思います。今、言われているのが9条に関すること。私の親は9条に大反対しています。僕、個人的には9条に関しては何かしないといけないと思っています。今の中国や韓国などをみて、どのように思っていますか。
辻元 つい最近、イラク戦争がありました。アメリカはイラクに派兵しました。アメリカのためにイギリスの軍隊も派兵しています。ベトナム戦争では韓国軍が行っています。日本は憲法9条があるので、日米安保条約があったとしても、ベトナム戦争にも朝鮮戦争にもイラク戦争にも派兵していません。憲法9条を変え、集団的自由権を認めるということになれば、イラク戦争に日本の自衛隊は行って、殺し殺されしていると思います。9条をなくす、集団的自衛権を認めるということは、そういうことができる国になるかということです。そこから考えていかないと、北朝鮮や中国が挑発してくるからと言って、憲法9条を変えれば良いというような話ではなくて、国際情勢全体を見ていかなければいけないと思います。アメリカはイラクに大量破壊兵器があるということで戦争を開始しましたが、結局ありませんでした。日本もサマーワまで行きましたが、憲法9条があるので戦闘には参加せず給水をしていただけです。戦争参加していれば、日本はアメリカのようにテロの標的になると思います。そこまで覚悟して、憲法9条を変える議論をするのかどうか。私は憲法9条は変える必要はないと思っています。あらゆる紛争を武力で解決しないという立場を活かして、どちらにも付かないで(どっちかに入ると片方の敵になりますので)、両方から中立な立場で紛争の仲介するというポジションになるべきだと思います。これを仲介外交といって、ノルウェーなどが成果をあげています。何より、憲法9条を変えることはアジアの緊張を高めることになるため、アメリカも反対しているようです。日本は挑発に乗らず、外交という手段でやっていくべきです。私は、安全保障の議論を国会の様々な委員会などで行っています。この間のアルジェリアの人質事件があった時に、自衛隊が邦人を陸上まで輸送できるようにという意見も出ましたが、他国の武器を持った軍を入国させる国はほとんどないのが現状です。アルジェリアの場合もイギリスが行くと申し出ましたが、アルジェリアに断られました。日本が他国でテロがあって助けに行く場合、相手も日本に来させないといけなくなります。日本は他国の武器を持った人たちを入れなければいけないのです。オーストラリアはカンボジアに救助に行っているのですが、上陸する時、武器を全て置いて行っています。どこの国も武器を持った軍を安易に入国させていません。
大矢 どうしたら良いのでしょうか。やっぱり、もっと議論を深めないといけないのかと思います。敗戦してから65年間が妥当だと思ってやってきているので、国民的な議論を深めていかないといけないと思います。
辻元 何か起きると、すぐに自衛隊を出すようなことは違うと思います。イラク戦争にイギリスは行きましたが、イギリスは今、大反省をしています。間違って派兵してしまったということで、あの時のブレア首相まで証言に立ち、今、総括しています。
大矢 今、現行の憲法と自衛隊は矛盾があると思うのですが、そういったことに関してはどう考えておられるのでしょうか。
辻元 現行の憲法で自衛隊の存在は認めるが、専守防衛に徹するということで良いと思います。自衛隊法もしっかりと作っているわけですので、今の専守防衛ということに徹した安全保障政策を、現行憲法下でやっていくのが良いと思います。
大矢 現行憲法の解釈が色々あると思います。武力を保持しないということで、自衛隊は武力を持っているというところもありますので、そこに矛盾が生じているということは色々な考え方があると思うのですが、それに対して矛盾は無いと思いますか。
辻元 今、自民党が出しているのは更に踏み込んで、自衛権を認めると書いています。この自衛権は、個別的自衛権と集団的自衛権と両方になるので、イラクに派遣ができてしまうということになるので、今のままで良いのではないかと思います。
大矢 ありがとうございます。
【高槻市・島本町について】
大矢 合併についてという話についてですが、地域の話をしていただきましたが、合併について、5万人以下の都市ということであれば行政効率が悪いということ、ゴミの収集などを高槻市と連携していっているのですが、なかなかWIN WINの関係にはなれないと聞いています。10年後、20年後を考えるとどうですかということで島本町長に聞いていたのですが、ジレンマがあると聞きました。辻元先生はどうお考えでしょうか。
辻元 私は住民投票で決めれば良いと思っています。平成の大合併というのが日本中でおこりましたが、失敗したところが多かったのです。東日本大震災でも、合併していたところは上手く行っていません。元の行政単位があり、連携が上手く取れないなどの問題がありました。合併したことの弊害を、きちんと検証しないと行政効率も良くなると言えません。きちんと検証し、検証したことを住民にも示して、住民投票をおこなえば良いと思います。
大矢 10年後、20年後と考えると、そういう方法を一つの方法として考えていかないといけないと思います。その為には議論を続けないといけないです。10年くらいのスパンを持って考えるのが最適なのかなと思います。
辻元 道州制議論というのがありますが、道州にすると一行政単位が北摂全域くらいになるのです。豊中、摂津、吹田、箕面、豊能、茨木、高槻、島本が全部一つの議会になってしまうと、広すぎて住民へのサービスがかえって低下する可能性があると思います。基礎自治体という、市町村で目を光らせていくのが良いと思います。例えば、高槻から議員が3名しか出せなくなるとすれば、住民の声を吸い上げにくくなります。住民にとって常にどういう行政単位が良いのかという視線で物事を考えていかないといけないと思います。
大矢 僕らが勝手に考えるものではないということですね。住んでいる地域の方が、どう考えるかということですね。
辻元 住んでいる人の生活に密着した様々な行政機関が、どのくらいの単位の行政単位が良いのかということで考えて行かないといけないと思います。
大矢 結果的に最適はどこなのかを考えて、地域から上げていこうということですね。辻元先生のやろうとしている、自分の街をモデル化していくというところになるんですかね。
辻元 高槻でもかなり大きい単位ですからね。都構想でもそうですが、堺市が反発していますが、強要できないのです。やっぱり地域の方が決めて行かないと、誰かが自分の考えで地域を切り刻むというのは権力者の発想です。
大矢 ということは辻元先生の根本は住民ですよね。
辻元 そうですね。
【若年層について】
大矢 僕らは今、社会問題や青少年問題に取り組んでいますが、ゆとり教育であるとか、やる気のない人たちが増えているとかありますが、辻元先生の若年層についての思いは、どういった考えでしょうか。
辻元 全ての若者には可能性があると思っています。その可能性を引き出すお手伝いをするのが、教育であったり政治であると思います。私は、世襲議員でもないですし大金持ちの娘でもありません、普通の庶民です。ピースボートのように、みんなで力を合わせてやってきたのですが、自分の中への可能性への挑戦があったと思います。そういうものは一人ひとり絶対にあります。若い人たちには自分の可能性を信じて、色々なことにチャレンジをしていきやすい社会を作っていきたいと思っています。どんな時代も、今の若い者たちはと言われます。
大矢 すごい夢を頑張っている人たちと、大学卒業したにも関わらず、これがしたいというのがあるけども、それをできずに、ズルズルとしてしまう。この二つの種類に分かれていると思います。ニートというのがあるのですが、自分が関わった人たちがニートに戻りたいというのですが、そういうことはあってはいけないと思い色々な話をするのですが、思ったのが、その世代の人たちは失敗をあまりしたことがない。辻元先生のようにお父さんが大変だったということとか、僕も似たような感じでした。そういった失敗、今までの人生の中でないのかなと、怒られたこともないし、失敗がないので、成功した時の喜びを感じられない。そういうことなのかなと思って、それを考えて色々と話しています。ニートに戻りたいと言うわけですが、普通より良い待遇で、シフト制で社員で社会保険も入っている、この前、6月に辞めたいと言い出しました。その時に社会保険の部分を給与にしてもらえませんかと言いました。そもそも考え方が間違っていると言い返しました。失敗しても良いから何かしてみるように言いましたが、夜の仕事が辛いと言われました。社員なので、こうしたいと提案しても良いから、何かしたいと言うてくださいと言いました。ということもあり、失敗をせずにやってきたので成功の達成感を知ることができないのかなと思いました。
辻元 私たちの場合でも、とことん怒る大人が居たので、そこから変わっていったと思います。自分の周りの若い人たちに、こっちの本気度を見せるということの積み重ねかなと思います。この間、こいのぼりフェスタやジャズストリートとかありましたが、若い人たちがボランティア活動をしています。私がしていたピースボートでも、不登校の方なども居ましたけど、来たらすごく変わりました。私たち大人が、若い人たちに真剣にぶつかっていくことの積み重ねでしかないのかなと思います。
大矢 大人が次の世代を作るということですね。ありがとうございます。
【私たち青年会議所に期待すること】
大矢 最後になりますが、僕たちJCに期待することがあればお伺いしたいです。
辻元 東日本大震災の件でも言いましたが、震災対応にあたられたということは立派な功績だったと思います。そういう全国のネットワークを活かして、これからも社会に貢献する活動を続けて欲しいなと思います。高槻、島本、JCから対談という機会をいただいて、私は嬉しかったです。これからも色々なことを一緒にできれば良いなと思います。よろしくお願いいたします。
大矢 よろしくお願いいたします。ありがとうございます。
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